調査業界の巨星・廣嶋澄雄氏死去

調査業界の巨星・廣嶋澄雄氏死去

全日本調査業政治連盟 会長原田侑典

sumio

株式会社テイタンの代表取締役で、初代「社団法人大阪府調査業協会・会長」、「社団法人日本調査業協会・元副会長」、元「東京都調査業協会・元会長」を歴任された廣嶋澄雄氏が、12月6日逝去された。享年77歳。

廣嶋氏は業界大手である㈱テイタンの社長を長年務めてきたが、それと共に調査業界の発展のため、精力的に活躍された偉大なる人であり、同人の死去は我々調査業に従事するものにとっては、大きな損失である。

廣嶋氏は、大阪府に条例ができると初代の社団法人大阪府調査業協会の会長に就任し、警察庁などとの交渉に力を注ぎ、昭和63年9月に全国の調査業者が一本化して「社団法人日本調査業協会」となる基礎を構築しただけでなく、平成18年に制定された「探偵業法」(探偵業の業務の適正化に関する法律)が制定される道を開いた人である。

日本だけでなく、世界探偵協会(WAD)の役員として活躍し、1978年には、WADから「調査員最高栄誉賞」を受理して、世界に日本の探偵業者の実力の高さを表す。また、平成18年には日本で初めての「WAD総会」を開催するなどして、世界の探偵業者から「日本に廣嶋あり」といわれていた。また、東京四谷ロータリークラブの第11代会長も務めたほか、保土ヶ谷コミニテオーケストラでヴァイオリンを演奏するなど音楽活動も行うなど感性の素晴らしい人物でもあった。

廣嶋氏は、我々調査業界の偉大なるリーダー、パイオニアとして業界の社会的地位向上に尽力してきたことは調査業界で知らぬ者がいない。廣嶋さんは自分が経営する会社だけでなく、業界全体のために尽力する姿をみて、業界活動に参加したという業者は大勢いる。

現在、調査業界では、違法行為による問題が多発するなど多くの問題を抱えているが、その中で真のリーダー、偉大なリーダーである廣嶋氏を失ったことは我々にとって大変な痛手である。残された我々が廣嶋氏の意志を受け継ぎ、社会にとってより役に立つ調査業界の構築に励むことをお誓いして、廣嶋氏のご冥福をお祈りすることにした。